酒問屋の街 新川

2014年01月10日

 江戸幕府成立より50数年、灘・伏見などの≪下り酒≫の輸送手段が馬による陸上運送から廻船による海上運送に変わった。
 そのころの新川は掘割を利用した木材の集積場として賑わっていたが、やがて材木商は木場に移り、そのあとに江戸周辺の酒類商が新川界隈に集まって≪酒問屋の街新川≫が形成される。菱垣廻船や樽廻船が往来し「江戸新川は酒問屋をもって天下に知られ」と言われるほどだった。

ページの先頭へ戻る